その他
01竹ヶ鼻城跡 |
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羽島市歴史民俗資料館(竹鼻別院前)の敷地内に竹ヶ鼻城跡の石標が立っています。竹ヶ鼻城は、応仁年間に武腰伊豆守が築城したと云われています。その後、不破源六広綱が城主であった時代に、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)による「水攻め」があったことで知られてます。城跡の位置は、この地の辺りを本丸の跡地とする諸説があり、未だ確証は得られていません。 |
所在地 |
羽島市竹鼻町上城2624-1 |
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02巨大円空モニュメント |
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この円空モニュメントは、円空上人の偉大な事業を讃えるため、市制施行50周年を記念して「羽島市円空顕彰会」から寄贈を受け建立されたものです。「円空生誕の地 羽島市」の新しいシンボルで、岐阜羽島駅前でひときわ目を引き、新幹線ホームからもよく見える巨大な像です。
モデル:護法神像 材質:ブビンガー(アフリカ原産)
重量:14トン 高さ:8メートル |
所在地 |
羽島市福寿町浅平1丁目
JR岐阜羽島駅前(北口)駅前広場 |
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03薩摩義士の墓 |
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境内には、宝歴治水工事で一之手(羽島市桑原輪中から愛知県神明津輪中まで)に属し、逆川締切その他の工事に従事した薩摩義士、「瀬戸山石助」・「平山牧右衛門」・「大山市兵衛」の三墓石が並んでいます。 |
所在地 |
羽島市江吉良町451(清江寺) |
TEL |
058-392-8006 |
交通アクセス |
名鉄竹鼻線江吉良駅より徒歩10分
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04竹中伝六喜伯の墓 |
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竹鼻別院の境内には、幕臣で宝歴治水工事の御小人目付として一之手(羽島市桑原輪中から愛知県神明津輪中まで)を担当したが、後に自刃した「竹中伝六」のお墓があります。 |
所在地 |
羽島市竹鼻町2802(竹鼻別院) |
TEL |
058-392-2379 |
交通アクセス |
名鉄竹鼻線羽島市役所前駅より徒歩5分
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05芭蕉の句碑 |
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江吉良町の水除神社にある、芭蕉の句碑。昔から俳句は、大衆文芸として同好者が多く、この碑もそれらの人によって建てられました。当初は、逆川堤防上の茶所の前に建てられていたが、昭和32年に句碑を現在の地に移転される。市指定史跡になっています。 |
所在地 |
岐阜県羽島市江吉良町933 |
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06八神城跡 |
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名古屋・尾張藩の家臣となった毛利氏が、3千石を領して、この地に建てた広大な邸宅が八神城です。辺り一帯は「旧地頭」といわれ、田15ヘクタール・畑5ヘクタールに及んでいますが、今は大銀杏以外に昔を偲ぶものはありません。 |
所在地 |
羽島市桑原町八神1998番地 |
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07加賀野井城跡 |
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長久手の戦いに大敗を喫した豊臣秀吉が、局面の打開にむけて策を練り、密かに10万の大軍を出動させ、織田信雄を撃退した「加賀野井の一戦」の舞台です。 |
所在地 |
羽島市下中町加賀野井857番地の1 |
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08石田の猿尾 |
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木曽川の河川敷から土手のように突き出した二つの猿尾が見えます。この猿尾は、薩摩藩による御手伝普請として名高い宝暦治水工事により築造されたものです。 |
所在地 |
羽島市下中町石田 |
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09中野の渡し |
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中野の渡し(なかののわたし)は、愛知県一宮市西中野(旧尾西市西中野)と岐阜県羽島市を結ぶ木曽川の渡し舟です。正式には、「愛知県営西中野渡船場」といいます。
運行時間:
午前8時30分から午前11時30分まで
午後0時30分から午後2時30分まで
午後3時30分から午後4時30分まで
(ただし、増水時や強風等の危険な時には欠航)
また往時を偲ぶ石灯明があり、幕末の頃、旧城屋敷の有志によって建設されたもので、正面に「常夜燈」左側面に「不動明王」と刻まれています。
愛知県営西中野渡船場問い合せ:愛知県一宮建設事務所維持管理課(0586-72-1411) |
所在地 |
羽島市下中町石田 |
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10行基塚跡 |
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経塚とは、経典を書写し供養した物が地下に埋められた塚のことである。この塚は行基菩薩が手がけたものと伝え、行基が座禅をくんだ所といわれてきた。円空は、行基菩薩を慕って行者となったと伝えられています。 |
所在地 |
羽島市上中町中前沼29番地 |
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11巨大円空モニュメント |
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この円空モニュメントは、円空上人の偉大な事業を讃えるため、市制施行50周年を記念して「羽島市円空顕彰会」から寄贈を受け建立されたものです。羽島市の北の玄関口にも、ドライバーの目を引く新たなランドマークが誕生しています。
モデル:護法神像 材質:ブビンガー(アフリカ原産)
重量:8トン 高さ:4.8メートル |
所在地 |
羽島市足近町3丁目交差点 |
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12円空ロード 〜 街角の円空 〜 |
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羽島市円空顕彰会の会員により制作された彫刻が、道路両端に設置され、道行くドライバーにやさしくほほ笑んでいます。 |
所在地 |
市道松山大浦線:竹鼻町の上城・下城通り〜本町通り付近 |
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13三川分流碑 |
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羽島市の最南端には、明治時代にオランダ人ヨハネス・デレーケの調査設計により行われた木曽三川分流工事の記念碑が立っています。また、ここから南の堤防沿いには、桜堤が続き桜の名所となっています。 |
所在地 |
羽島市桑原町小藪先(海津市) |
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旧街道
14美濃路街道 |
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美濃路は、東海道の宮宿(名古屋市熱田)から、中山道の垂井宿までの約57.5kmの街道です。徳川家康が、関ヶ原合戦後に、凱旋の帰路としてこの路を通ったことから、「吉例(きちれい)街道」とも呼ばれ、交通量も多く重要な脇街道でありました。
この歴史とロマンのある美濃路は当市の北部を東西に通過しており、「坂井の道標と辻地蔵」・「間の宿」・「一里塚」などが残り、特に境川堤防の桜並木は見事であります。 |
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15起渡船場石燈台 |
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美濃路の木曽川の渡しを「起の渡し」といい、この石燈台は、濃尾大橋の開通時(昭和31年)に、現在の場所へ移されました。明和7年(1770年)の「おこし川渡船」と刻まれたこの石燈台は、文学者の龍公美の漢詩が刻まれています。口碑によると、ある夜、渡船で難儀をした竹鼻出身の力士が、油代として田二反を併せて寄進したとものであるといわれています。 |
所在地 |
羽島市正木町新井 |
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16不破一色一里塚跡 |
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正木小学校の西門右側に一里塚跡の標柱があります。かつては径9m・高さ3mの土盛りがありましたが、今は当時の面影はありません。 |
所在地 |
羽島市正木町坂丸 |
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17間の宿 |
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起宿と墨俣宿のほぼ中間に位置する古い門構えの家は、かつて美濃路の小休所として大変繁盛していました。休息した諸侯の休息札も残されています。 |
所在地 |
岐阜県羽島市足近町南宿 |
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18式内阿遅加神社 |
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式内社で、祭神は日本武尊です。近世には八剣宮といい、足近十郷(足近輪中内の村々)の惣社です。社地に雨石があるので、雨乞いに参拝する人もいます。 |
所在地 |
羽島市足近町2丁目 |
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19坂井の道標と辻地蔵 |
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境川堤防に上がった所に西方寺への道標が立ち、その脇に「右笠松 西方寺道」「すぐ墨俣 大垣道」と刻む小さな辻地蔵が2体あります。 |
所在地 |
羽島市足近町坂井 |
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20東小熊一里塚跡 |
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境川堤防上の左手に大きなイチョウの木があり、標柱が立っています。境川はかつて古代中世の木曽川の本流で、美濃・尾張の国境でした。境川堤はかつての鎌倉街道でもありました。 |
所在地 |
羽島市小熊町東小熊 |
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21西小熊太神宮と秋葉社 |
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堤防上の右手に大きなモミジの木があり、その下に太神宮と刻む石燈明と秋葉社がまつられています。 |
所在地 |
羽島市小熊町西小熊 |
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22小熊の渡し跡 |
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美濃路の境川の渡しを「小熊の渡し」といい、川幅20間余り(約36m)ですが、平日1艘、船頭は7人で昼夜2人ずつの交代、馬船4艘で大通行に備えました。将軍や朝鮮通信使の通行時には、28搜ほどの船橋が臨時に架けられました。 |
所在地 |
羽島市小熊町西小熊 |
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公園
23市民の森羽島公園 |
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四季折々の花木約4万本が植えられ、万葉庭園・俳句庭園・利休庭園・椿庭園に区画され、屋外ステージ・芝生広場・遊具などがあり家族づれや若人で賑わい、市民の憩いの場です。春には、「椿・桜まつり」が開催されます。 |
所在地 |
羽島市竹鼻町丸の内6丁目 |
TEL |
058-392-1111(羽島市都市計画課) |
交通アクセス |
名鉄竹鼻線羽島市役所前駅より徒歩15分 |
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24御坊瀬戸広場 |
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竹鼻商店街の中にある御坊瀬戸広場は、第10回緑のデザイン賞審査会にて建設大臣賞を受賞しました。緑あふれる憩い・出会い・イベント(なまずまつり等)の場所として、市民に幅広く利用されています。 |
所在地 |
羽島市竹鼻町2630-1番地 |
TEL |
058-392-1111(羽島市商工観光課) |
交通アクセス |
名鉄竹鼻線羽島市役所前駅より徒歩10分 |
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